私ごとではありますが3年前から趣味で「陶芸」を始めました。昔からやりたかったわけではなかったのですが、なんとなく目についた広告を見て衝動的に申し込んだら結果的に今日まで続いているだけなのです。いざ、始めてみるとさすがに奥が深く、週一回ぐらいでは3年たっても未だに菊練りすらまともにできませんが、時間を作って通う教室で楽しく作陶しているわけです。
幸い、私の場合、自分の言うのもなんですが、交際範囲が広いものですから、完成した作品を次から次へと知人たちに半ば強引にプレゼントするという手法で創作意欲を持続できたことが3年間も続いているのかと思います。

さて、前置きはこのぐらいとして、この「陶芸教室」に入ったことで今更ながら気付かされたことがありました。私は「学習塾」という仕事を30年以上も続けています。当然、指導者として小学生・中学生に対して日々過ごしてきました。
しかし、「陶芸教室」おいて、立場は逆ですね。私は生徒だということです。師匠は、常に私の作陶の様子を見ていないようで見ています。ちょっとおかしいところがあると、「あっ」と声をかけられます。年下の師匠ではありますが、言われると「ドキッ」とします。あれ、何か手順が違ったか? とか、さっきごまかしたところがバレたか? とか、不安な気持ちが高まっていくのです。
いい大人ですけどね!!

気がついたこと、まさにこれなのです
igk10私は仕事上、常々、当塾の講師には「わからないこと」を学びに来ている子供たちの気持ちになって指導してくださいと言ってきました。でも、講師たちに言ってきた自分が一番忘れていたこと、それが「陶芸教室」に入ったことで再認識させられたのです。
すなわち、「塾」に通っている子供たちは、何事もスムーズに勉強が進んでいるときは問題ないのですが、「わからないこと」が出てきたときは、不安感や孤独感などが入り混じりながら学習時間を過ごしているだろうと思います。そんな時に講師から「どうした、わからないの?」などと聞かれた時は、なんとか正しい答えを出そうと考えるのですが、考えれば考えるほど支離滅裂なこと言ってしまう子供たちがそこにいます。
実際、当塾に通っている生徒の中にも、数学の問題を解いている時に、1分前にできた問題を数字が変わっただけなのに間違えてしまい、そこを指摘するとさらに大きな間違いへと発展してしまう。「わからないこと」を一生懸命やろうとしている時ほど、陥りやすい心理状態なのかもしれません。大人でも仕事上このような経験を1度や2度はしたことがあるのではないでしょうか。
勉強って、何?
scene-4私が考える「勉強」というものは、「わからない」ことを知識として学習したことを利用して解明していくことで「わかる」。その時の達成感や充実感を味わうことで、さらにその上を目指し日々向上していこうと思うことではないかと考えます。
しかし、「わからない」状態が続くことは辛いものです。子供たちは成長するにつれていろいろな「わからないこと」が増えてくるのです。それを毎日の学校生活を送りながら、塾へ行ったり、部活動の試合などで遠征したり、友達と遊んだりと、実は昭和の子供より平成の子供たちは、いろいろな意味で忙しいのです。
家族で考えてみよう
私も含めた大人のみなさん、もう少し「子供」たちの目線に降りていきませんか。「わからないこと」を「わかった」“ふり”をしないで、子供たちと一緒に考えてみる。1週間のうちの30分でもいいのです、そんな時間を生活の中で作れたら家族間のコミュニケーションも充実したものになるのではないでしょうか。子供のころを思い出しながら、時々でよいのです、ぜひ考えてみませんか!!
「立場が変わると、わかってくることがあるんですね!!」
